スピリチュアルナンバー33な生き方~私らしく思うがままに生きること~

誕生数秘術によるエンジェルナンバー33。自称「抑圧された表現者」が魂の伴侶と出逢い、心を解放していくブログ

乗り越えられるサイン

こんばんは。ゆうです。

 

今、彼にメールを書いていたら、

ふとこちらにも共有したくなりました。

 

2日ほど前のこと、あるランチ会に出席した時、

ワークショップでご一緒していたかたと再会しました。

 

そのワークショップは、全部で6回のシリーズものなのですが、

私は途中何度か欠席してしまい、

そのかたとお会いするのは

1か月ぶりくらいだったかと思います。

 

たまたまお隣りに座ることになって話をしていたのですが

彼女がふと

 

あの時のゆうさんの言葉、いつも励みになっているよ

 

みたいなことを言ってくれたんです。

 

それは、ただ見つめ合うだけのワークで

最後、相手に一輪の花を渡す時、

思いついた言葉を添えてくださいというものでした。

 

私は何を言ったのか、実は、すぐに思い出せなくて(^^;

 

でも、彼女から聴いて、

その時の様子がありありと浮かんだのです。

 

彼女に贈った言葉は

 

大丈夫

 

なぜか彼女の瞳を見ていた時、

 

それまでの人生、すごく大変だったと思うけど

よく頑張ったね。

 

あなたなら、大丈夫。

これからの人生、何があっても乗り越えて行けるよ。

大丈夫。

 

そんな想いからきた言葉だったと思います。

 

その時は、彼女の人生の背景など

まったく知らずにいたのですが

 

先日会った時、彼女のこれまでの人生について聴く機会があり、

生きづらさや苦労のうえに今があることを初めて知ったのでした。

 

 

決して彼女の役に立ちたいとか、励ましたいとか

そういう意味合いで発したのではなく

ただ感じたことをそのまま言葉にした。

 

人って、わざわざ人の役に立とうと奮闘しなくても、

自分のためになることを自然体でしていたら

知らぬ間に人の役に立っていることもあるし

 

そういう良い波動の輪が、

自然と広がっていくんだろうと思いました。

 

誰しも人の役に立ちたいという気持ちは持っていて、

それがわかりやすくフィードバックされない時は

なかなか辛いものがあります。

 

ツインのお相手となら、なおさらですよね。

 

相手の役に立てる自分でありたいのに

私なんて・・・

 

そうやって自分を卑下してしまうことも

あるかもしれません。

 

普通の恋愛だったら、そこまで卑下しないのに

まあ、ツインあるあるですね(^^;;;

 

私が彼と最初に離れたのも、

彼に相応しい私ではなくなったと感じたからでした。

 

それほど深く、自分の姿をとことん見せつけられるので

非常に辛くもあるのですが、

 

それは、その人となら

乗り越えられるというサインでもあるのです。

 

ぶっちゃけ、どうでもいい人となら、

自分の根っこの部分までさらけ出す必要がありませんから。

 

自分のすべてをさらけ出し

相手のすべてをもさらけ出されて

それでもなお、愛することができる。

 

それは相手だけではなく、自分をも、です。

 

心の底から幸せを感じられる術。

与えられてではなく、泉のように自ら湧き出るもの。

 

あなたの存在そのものが、

相手の生きる術になっているのです。

 

大丈夫。

届かないメール

こんばんは。ゆうです。

 

気付けば、世の中はゴールデンウィークなんですね。

びっくりです。

 

昨晩から、急に極度の鼻づまり、のどの痛みがきて、

今朝は、体の痛みまで(^^;

 

ちょうど今日は予定も入っていなかったので、

ひたすら寝ていました。

 

2日連続で朝から晩まで出かけて、

さらには2~3時間踊ってもいたので、

疲れがどっと押し寄せたみたいです。

 

今日は、ちょっとした小ネタを。

 

彼からは、1日から2日に1回のペースでメールが届くのですが、

木曜のお昼に届いてから、今朝まで届いていなかったんですね。

 

仕事が忙しいこともあって、夜中の2時とかに来ることが多く

私が目にするのは大体朝なんですけど、

今朝は届いていなくて。

 

今日は27日ぶりだかで仕事も休みだと言ってたし、

そういう時は、夜遅くまで来ないことが多いし、

 

ゴールデンウィークだから、

こちらは家族と過ごしていると思って

気を遣って送ってこないのかもしれないし。

 

なんて、まわらない頭であれこれ考えていたんです。

 

そうしたら、珍しく10時過ぎにメールが届いて。

 

でも、読んでみると

 

明日朝重い仕事が入ったので今日は帰ってすぐ寝ます。

 

???

今から、寝る宣言???

 

で、よくよく見たら、送信時間は

昨日の夜11時過ぎになってるんです。

 

そういえば、その前のメールも、

タイムラグがあったような。

 

パソコンでは、そのままの時間に受信しているようなのですが、

なぜかiPhoneで受け取ったものは、時間がずれてるんですよね。

 

今朝の私の心配って何?って感じになりました(笑)

 

様子がわからないばかりに、勝手に想像しちゃうことって、

かなりしょっちゅう起こることだと思います。

 

たとえば、私もたまにすることですが、

今朝のように具合が悪かったりすると、

LINEやメッセンジャーなど、とりあえず読んで、

急ぎのもの以外は、あとで返事をするとか。

 

これって、相手からすれば既読スルーですよね(^^;;;

 

もし自分が不安定な時に、彼にこんなことされたら

 

私のことって、どうでもいいのかな

 

って落ち込むパターンです。

 

どんどん妄想が膨らんでいって、

どんどん自分を追い込んでいって。

 

だけど事実はただ「既読がついている」ことだけ。

 

あー、こういうことかあって、

今回のことで、あらためて実感しました。

 

どうせ妄想するなら、良いほうに。

 

すぐにでも返事がしたいけど、

上司に呼ばれちゃって残業もたんまりあって。

合間ではなく、落ち着いて返事がしたいし。

 

あー、ゆう、申し訳ない。もうちょっと待って!

 

なんて考えたら、それだけでほっこりしますよね。

 

無理してポジティブになる必要はありませんが、

どっちにしてもわからないのなら

良いほうに捉えたほうが、心は安定します。

 

疲れたり緊張したりすると、きゅって体が縮こまってしまうように

心が縮こまってしまうと、視野がどうしても狭くなってしまいます。

 

ハッピー妄想、よろしければお試しください♡

数少ない男性読者の皆様にお願い

こんばんは。ゆうです。

 

今日初めて、このブログを通じてお申し込みくださったかたに

レイキレベル1のアチューンメントをさせていただきました。

 

募集ページは、こちら↓

ylifestyle.hatenadiary.jp

 

ふだん私のブログをよく読んでくださっているのと、

あらかじめメールでのやり取りもさせていただいていたので、

楽しい時間を過ごすことができました。

 

引き続き、募集しておりますので、

気になるかたは、まずはご連絡くださいね。

 

さてさて。

 

2日ほど前だったかな。

 

このブログのアクセス数が

ふだんの2倍以上にぽーんと跳ね上がりまして

いよいよメジャーデビューも近い?と思ったのですが(笑)

 

知人にこのブログを紹介した時、

お相手のかたにも伝えていただいていいですよとお話ししたら、

早速読んでくださいまして、あっという間に読破しちゃったそうです(@_@)

 

ということで、分析する前に

アクセスが増えた理由がわかりました。あはは。

 

なんとなく私の中では、女性が読むイメージでいたんですけど、

もし男性のかたに読んでいただけるのであれば、それはとても嬉しいことです。

 

女性は自分で抱えつつも、

まだ、なんとかうまく相談できる相手を見つけることに

長けている部分がありますから。

 

それに比べ、男性は、

相談できる場が少ないんじゃないかと思います。

 

ただでさえ現実的な男性社会にとって

そうあっさりとは受け入れがたい概念ですものね。

 

それでも、感覚的に受け取ることができるかたも

中にはいらっしゃると思っていて。

 

そういった男性のかたに

女性の視点でお話しできるのも、またいいのかなと思ったりします。

 

私はまだ、彼と話ができているので、

 

男性が何を考えてるのかさっぱりわからない

 

と思うことはあまりありませんが

 

一般的に、一番話したいことや、一番話す必要があること

つまり核心に触れることは、えてして話せないものです。

 

お互い怖いですからね。

 

そこに不安とか行き違いが生じる。

 

なんとなく、なんとなくですけどね。

 

男性って、女性が思っているほど、裏まで考えてないけど、

真剣には考えています。

 

特にツインのお相手だったりすると、

責任のとれないことを、

軽々しく口にしないのではないかなと思います。

 

だから、発した言葉を信頼して受け取るということが

大切になってくるんですね。

 

まあ、うちの彼なんて、ほんっとに真面目なもんで

仮に、一緒に住みたいなんて思っていたとしても

確実になるまでは、口が裂けても言いません(笑)

 

会う約束ですら、そうですからね。

 

昔はイラッとしたこともありましたけど、

最近は、いいほうに捉えています。

 

 

男性って、好きな女性が喜ぶことを

あれこれ自分なりにやろうとします。

 

それが大いに的外れなこともあったりしますが

それはそれで可愛いですよね。

 

尽くしてくれる男性が最初からいるわけではなく

尽くしてくれる男性に育てるのもまた

女性の腕の見せどころなのかもしれません。

 

嬉しい、ありがとう♡

 

もし私が男性だとして、好きな女性にこのセリフを言われたら

それだけで舞い上がっちゃいますね(笑)

 

おそらく数少ないであろう、男性の皆様。

 

ぜひお相手が本当に喜ぶ方法で、女性を笑顔に。

自分本位じゃダメですよ。

 

やってやってるだろう、は、もってのほかです。

醸し出さないでください。

 

女性の思い込みと勝手な解釈も

十分にあるでしょうけどね。

 

どうぞ姫だと思って接してもらえると嬉しいです。

 

私も、そろそろ姫モードに昇格したいので

彼にこのブログを読んでもらうかな(笑)

 

大いなるギフト

こんにちは。ゆうです。

 

以前にもお話ししましたが、私のブログを通じて繋がった方と

ご希望に応じて、メールでのやり取りをさせていただいています。

 

私のブログの性質上、コメントを残したくても、

プライベートな部分に触れないと伝えきれないことが多いので、

対話を大切にしたいと思い、始めました。

 

私自身が、以前同じようにしていただいて、

救われたことがあったというのもあります。

 

いつ人の目に触れるかわからない不安もありますしね。

 

そんな中、今日、

思わず涙が出てしまうようなことがありました。

 

ブログで、私のことを書いてくださっているのを

たまたま拝見したからです。

 

直接お礼をメールで伝えても良かったのですが、

なんとなくこちらに書きたくなったので、書くことにしました。

 

タイトルにもある通り、私にとって今回のことは

「大いなるギフト」でした。

 

私、以前はボランティアは偽善だと思っていましたし、

ブログも仕事でなければ書けないとずっと思ってきました。

 

ボランティアに対する認識が変わったのは

アメリカに住んだのがきっかけではありますが、

それはあくまでもきっかけに過ぎず、

 

おそらく私自身が正直に生きようとし、

自分を満たそうとし始めたからだと思うんです。

 

そうしたら、損得勘定抜きで、周りの人にも喜んでほしい

そんな気持ちが少しずつ出てきたのかもしれません。

 

そして、ペイフォワードも意識し始めました。

 

私のチカラは微々たるものでも、

発信源となり、輪を広げ、循環を起こすことで

もっともっと大きなチカラになる。

 

自分が満たされるだけでなく、

周りも満ちていく。

 

そういう流れの中で、彼とも再会できた

 

そんな気がします。

 

また、どんな経験も宝だということも

あらためて思いました。

 

レイプ未遂にしても、デートDVまがいのことを受けたことも、

私にとっては苦い経験です。

 

もちろん彼と長い間、離れていたことも。

 

でも、それを自ら語れるようになり、

それぞれ読んでくださる方の琴線に触れる部分があり、

 

時にはその傷に触れて、涙することもあるかもしれないけれど、

それでも私は今こうして、前向きに、

たまにちょっと後ろ向きに(笑)

歩んでいっていることもお伝えできるわけです。

 

今は辛くてしんどくても

私もいずれそうなれるかも

 

その希望の道筋を示すことができたら

私はこのうえなく幸せなんだと思います。

 

ご縁があって、このブログに来てくださる方に

あらためて感謝したいと思います。

 

本当に、ありがとうございます。

共依存から相互依存へ

こんにちは。ゆうです。

 

2日ほど終日出かけていたらヘロヘロ(^^;;;

それでも実りの多い2日間でした。

 

ツインのお相手との関係だけでなく

親子の場合でも、共依存の壁にぶつかるかたは多い気がします。

 

私の場合、母とは共依存

彼に対する依存心も、かなり強いほうだったと、今は思います。

 

昨年の5月くらいから夏まで、見事ドツボにはまり(笑)

衝突して、崩壊して、何もないところにひとり佇み。

 

絶望と悲しみの中から、自分で立つことを選んだ。

 

そんな感じです。

 

言葉で書くと、かなり大げさになってしまいますが(^^;

見た目にはまあ、常にまぶたぷよぷよ、みたいな。

 

怒りに変換したり、相手のせいにしたり、

今までの私からは考えられないくらい、七転八倒しました。

 

決して相手のせいではないんですよね。

 

自分のせい、というよりも、自分が創り上げた世界から

一度出てみる必要があったようです。

 

依存心が強い人は自分の存在価値を見いだす時、

相手に対して尽くそうとします。

 

相手に尽くし、感謝されることで

自分自身がそこにいることを自分で認める。

 

だけど、それは、相手がいなくなってしまった途端

音を立てて崩れていきます。

 

相手がいなければ、存在価値はない

相手に必要とされなければ、存在価値はない

 

とも取れますから。

 

自立というのは、まさに

相手がいなくても、ぶっちゃけひとりぼっちでも

存在価値を見いだせる自分になるということ。

 

私は以前よく彼に

 

いてくれるだけでいい

 

と言っていました。

 

今も、それは変わらないのですが、

(いや、たまに何かしてほしくなるときはあるか 笑)

 

一方で彼が同じように言ってくれることを、

受け取ることができなかったんですよね。

 

普段、何かお世話したりすることもできない

 

目に見える部分で支えることもできない

 

病気になったからといって、

リアルにそばにいて看病することもできない

 

そんな私が、あなたのそばにいる意味があるの?

 

そう尋ねたことが何度もあります。

 

それで、会話すら途絶えてしまったら、

もう、ぼろぼろですね。

 

それでも彼は、いてくれるだけでいいからって

言っていました。

 

意味わかんない(笑)

 

でもね、本当にそうだったんです。

 

 

自分の中に、紛れもない相手の姿を感じることができる。

 

それだけで十分。

 

・・・じゃない時もありますが(^^;;;

 

なんていうんでしょうね。

お互い寄り添っているという感覚が、今はあります。

 

洗濯物を干していて、空を見上げた時

 

あー、きれいだなあ。彼もこの空を見ていたらいいなあ

 

と思う。

 

雨が降れば、傘を持っているかしら

 

と思う。

 

なぜかわからないけど、大丈夫

 

と思える。

 

大切な人の役に立ちたいというのは

誰しも思うこと。

 

ただ、自己犠牲の上に成り立っているものであれば、

必ずひずみが生じます。

 

だって、魂は満たされていないから。

ここまでしているのにってなっちゃいますね。

 

相手に望むのではなく、

相手の反応がどうであれ、

自分が行動したことに喜びを感じる。

 

書きながら、あー、これが無償の愛なのねと思いました。

 

今日、このことを書きたいと思ったのは

たぶん読んでくださっているどなたかが

同じような問題を抱えていらっしゃるからなのかなと。

 

共依存から抜けるためには

いったん裸になるような状態ですから

心許ないし、不安だと思います。

 

それでも大丈夫。

 

なぜなら、その生き方を、本当は望んでいるからです。

 

無理をする必要はありません。

 

でも、少しでも、乗り越える時と感じたのであれば、

思い切って、一歩を踏み出してください。

 

あ、強制的にそのタイミングが来ちゃう場合もありますから(笑)

その時は、スパッと腹をくくってくださいね。

 

関係性というものは、いくらでも修復可能だと私は思っています。

 

微調整で済む場合と、すべて壊したほうが早い場合とあるので、

見え方も違いますけどね。

 

すべて壊したら、すべてが終わってしまうということはありません。

 

諦めてしまうかどうかだけです。

 

抜けると、めちゃくちゃ楽ですよ。

 

今まで50%しか息を吸い込めてないのに

100%だと思い込んでいた自分から解放されて

自由を肌で感じられるというか、楽になります。

 

大丈夫。

共に乗り越えていきましょう♡

愛のカタチと自己開示

こんにちは。ゆうです。

 

昨日、今日と出たり入ったりの状態で、

また更新が滞りつつあります(^^;;;

 

書きたいことはたくさんあったはずなのに。

 

あと1時間ほどで、また出かけるので、

それまでにひとつ思い出せるといいなと振り返り中・・・

 

・・・

 

・・・・・

 

あ、思い出しました(笑)

 

sopdet.com

 

昨日、みずほさんの記事を読んで、

私も以前、彼に同じようなことを伝えたのを思い出しました。

 

彼と私は、夫婦でもなければ、

何か約束を交わした間柄でもありません。

 

なにひとつ保証もなく、

一見不安定で、もろい関係。

 

普段、会えるわけでもなく、

共通した何かに属しているわけでもない。

 

三次元だけで考えるとすれば、

どちらかが諦めてしまえば、そこで途切れてしまう。

 

そんな関係。

 

でもね。

 

そんな関係を、私たちは、あえて選んだ。

そう思うんです。

 

私たちの愛が、形に左右されないものであることを

体感したいがために。

 

そんなストイックな魂なのでしょう。

 

不安定だからこそ、繋がろうとするし、

相手を大切にしようとする。

 

たとえどんな状況下に置かれても。

 

だから、十分に体感しきったら、

一緒に過ごすのかもしれませんね。

 

本当は別のテーマにしようと思いましたが、

あえて続けて書きます。

 

昨日、今日とワークショップや

それにつながるランチ会に参加してきて

 

自己共感の大切さをあらためて感じたとともに、

自己開示というテーマを突き付けられました。

 

私はこのブログのような自己開示の場を得ることができ、

十分救われているのですが、

それもまた、すべてではないというか。

 

心のどこかで、

 

隠している自分

 

に対する後ろめたさが、時々、私を疼かせるんですね。

 

もちろん、なんでも言えばいいというものではないですし

タイミングもあります。

 

それでも、そう感じる自分がいるということは

まだまだ自己開示できるということ。

 

彼とのことを完全に公にするのは、

最後の砦になると思いますが、

それまでにもできることはたくさんある。

 

でも、できないと感じるのは、

おそらく人からどう見られるかといった私の恐れです。

 

昨日、ひとつ気づいたことがあります。

 

私は非常に現実的な人に、

ヒーリングやエネルギーワークをしていることを

伝えるのが、とても苦手だということ。

 

昨日の場合は、お医者さんでした。

 

しかも、お話を伺っていると、超現実的。

 

そりゃそうですよね。

お医者さんがふわふわしてたら、

患者さんも不安になりますから。

 

実際、ご自身も、そうおっしゃっていました。

 

ヒーリングのことは、たしかお伝えしたと思うのですが、

かなりぼかしたので

 

あ、カウンセリングみたいなものですね

 

で、あっさり終わりました(笑)

 

これもたぶん、過去のどこかで

否定されたことを引きずっているのでしょうが

それが何だったのかは思い出せないんです。

 

もしかしたら、母かもしれませんね(^^;;;

 

はじけたい自分というのは常にいて、

それを同じくらいのパワーで止める自分もいて。

 

あらためて「抑圧された表現者」とは

自分でもよく言ったものだなあと

他人事のように感心しています。

 

もうね。

 

ここまできたら、

そんなぐずぐずっとした自分も好きですよ。

 

それくらいの気持ちで、付き合っていこうと思います。

 

しかしまあ、なかなかまっしぐらには行かないもんですね(^^;

 

山を螺旋状に登るような感じなのでしょう。

 

同じ景色が繰り返されるから

自分の中では戻ってるような

進んでないような感覚になるけれど、

実は、着実に進んでいる。

 

本当に一歩ずつ確認しながらですけど、

それでも進めていることを喜び、自分をほめようと思います。

言葉の重み

こんばんは。ゆうです。

 

ただいま、炊飯器にてパエリア炊き込み中。

待っている間に、ひとつ書けそうですね。

 

ふだん、ブログを書く時は、思いつくままに書きたいことを書いて

一通り読み直し、最後にタイトルを決めるのですが、

 

今回は、なぜかタイトルが先に浮かんだので、

これに沿って書いていこうと思います。

 

脱線しそうだなあ・・・(笑)

 

かれこれ10年以上、書く仕事をしていて、

メールを書く機会も、とても多かったのですが、

 

ここにきて、言葉の重みというのを

あらためて考えさせられています。

 

 

いわゆる「降りてきた言葉」というものは

そのままストレートにお伝えします。

 

それと違い、推敲して出した言葉は、

私の命を吹き込むというか、

言霊としてお届けしているので、

しっくりこなければ、何度も書き直します。

 

それでも、真意が伝わらないということも

あると思うんですね。

 

文章というものは、受け手の価値観に左右されるものですから。

 

それもわかったうえで、

言葉をひとつひとつ紡ぎながら伝えていく。

 

その工程が好きだし、大切にしたいことのひとつでもあります。

 

工程が・・・と言いつつ、

書くのが好きと書いたのは、これが初めてです。

今、自分で書いてびっくり。

 

以前、確かこのブログで

言葉は意味をなさないと書いた記憶があります。

 

それもまた、受け手の価値観に左右されるからだと。

 

ただこれは、自分を受け手と考えた場合ですね。

 

そもそも受け容れようという気持ちがないのに

相手にどれだけ言葉を尽くしてもらったとしても

それは意味をなさない

 

そういう意味合いです。

 

自分が発信する時、伝わるように伝えようと心を配るのは

やはり必要なことだと思います。

 

もちろん、自分を曲げたり偽ったりする必要はありません。

 

コミュニケーションを通じて、

相手の価値観を知り、自分の価値観を伝え、

どうすればお互いが、いい状態で過ごせるのか。

 

それをふたりで探っていくのです。

 

ブログを読んでくださるかたも、

書き始めた頃に比べると、ずいぶん増えました。

 

本当にありがたいことだと思います。

 

と同時に、偽りなく、その時に感じることを

思うがままに、を貫いていると

 

もしかしたら、私の書いたことで

傷が痛むこともあるかもしれません。

 

読んでいて辛くなったら、どうぞ無理をせず

ブログから離れてくださいね。

 

中には、私のしんどい経験を書いた部分もありますから、

ご自身の傷と重なってしまった時、

せっかく癒えそうになっていた心を

再びえぐられるような辛さがあると思います。

 

もし、読める時がきたら、

その時にまた訪れていただけたら嬉しいです。

 

必要とされる時、私はいつもここにいます。

 

そういう想いで、今日も、

ひとつひとつの言葉に、命を吹き込んでいます。