ご自愛について考える
こんばんは。ゆうです。
この土日で、お墓参りに行ってきました。
昨年から始めています。
で、帰ってきてから、最後の仕事の仕上げ。
依頼してくれていた友人の「ありがとう」という言葉が
今までにないほど、身にしみてありがたく感じました。
ようやく納品を終え、一段落ついたので
今日のテーマ「ご自愛」について、書いてみようと思います。
まずは、ブログのご紹介から
このページから3つくらい続けて読んでくださると
わかりやすいかと思います。
私、自愛に関しては、この春あたりから、ずっと言われ続けていて
できてると思い込んでいたんです。
ええ、最近よく発覚している「思い込み」パターンですね(^^;;;
私がやっていたのは「自愛ごっこ」
体を洗う時も、手で洗ってます、とか
なでなでしてます、とか
まあ、見た目セオリー通りにやっていたわけです。
じゃあ、どんなふうに思いながら
なでなでしてますか?
って聞かれた時。
「今日もよく頑張ったね」
だったんです。
チーン。
条件付きの「なでなで」だったわけです(^^;;;
→ 頑張ったから、なでてもらえる
→ 頑張らなきゃ、なでてもらえない
という思考なんですよね。
またやっちゃってました。びっくりです。
ということで、ゆかりさんのブログにもありますが、
とにかく、自分の「不快」に注目してみました。
そうすると不思議なことに、
足先の冷えを敏感に感じ取れるようになったんです。
あと、たとえば、髪の洗い方ひとつとっても
結構ごしごしやってたり
歯磨きも強めだし
気づけば気づくほど、雑で荒い。
どれだけ自分を雑に扱っていたんだろうって
がっくしきました。
ルーティン化してるものとか
私の場合だと、健康にいいと言われてるものとかは
要注意ですね。
今まで、良かれと思って5本指ソックスを履いていましたけど
ほんとにそれ、自分が望んでるの?とか
さほど食べたいと思ってもいない発芽玄米を
体にいいからって考えなく食べてない?とか。
そうやって、本当にひとつひとつ
丁寧に掘り下げていくと
なんだかよくわかんないけど、楽しくなってきます(笑)
逆に、ちょっとでも手を抜くと
ほかに気がいっちゃったりして、一気に楽しくなくなります。
あ、あと、トイレを我慢するとかね。
トイレが近くならないように、水分調整するとかね。
出先だとやってしまいがちですよね(^^;;;
行きたい時に行くということをしたら
お通じが一気によくなりました♡
本当に些細なことのようですけど
小さな望みをすっとばして
大きな望みなんて叶うわけがないですよね。
私は自己肯定感が高いと信じ切っていましたが
小さな欲求を満たすことができない時点で
自分を肯定してなかったのね・・・
なんだか、日々発見です。
人に尽くそうなんて大それたことは考えず、
まずは自分にひたすら尽くしてみようと思います。