えさを前に「やりきる」
こんばんは。ゆうです。
最近、いろんな出来事が思い出されて
ふっと繋がり、腑に落ちる瞬間があります。
たとえば。
こちらの「ランナーとチェイサー(分離)」の
最初の部分でも触れていますが
彼と離れて2年後再会した時、私は大学4年生。
それまでの遅れを取り戻すために、
空きコマなし、教育実習、卒論のための実践研究など、
目が回りそうなほど、多忙な日々を送っていました。
それでも、会ってくれると彼が言った時、
私は「よりを戻すことができるかも」と
期待に胸をふくらませていたんですね。
見事に玉砕しましたが(^^;
その2か月後、彼は今の奥さんと出会い、
それでもなぜか連絡は取り続けていたので、
彼の恋愛相談にのりつつ、多忙な日々を過ごすわけです。
なんでやねん(笑)
でもね。
今朝、思ったんですけど、彼がなす術なしの態度をとってくれたことで
私は、これまでの人生の中で数えるほどしかない
「やりきる」
ということを経験できたんです。
たぶんよりが戻ってたら、ここまで没頭できなかった気がします。
私が「やりきる」を体感する必要がある時、
なぜか彼は視界にいます。
でも、頼ることはできません。
むしろ、こっちがサポートしてるという(笑)
あ、彼がいることが心の支えとか、
彼の魂レベルの見えないサポートは別として、ですよ。
そういう意味では、
常に支えてもらってるのかもしれませんし。
「やりきる」時って、馬の前にぶら下げられたにんじんのごとく
彼がいても、集中できるかな~
使命を果たせるのかな~ ほれほれ~
と、試されている気がします。
で、これがクリアできると、
連絡が頻繁にくるとか、たまに会えるとか
もっと近い状態になって試される。
この繰り返しで、もう一緒にいても
自分の使命を果たすことができるね、OK
となれば、統合かな、と思います。
私みたいに、微妙な距離感の人が
どれだけいらっしゃるかわかりませんが、
私の解釈では、今のところそんな感じです。
通常、完全分離のほうが多いでしょうしね。
ということで、まだ距離をとったまま、
私の学びは続きます。