見ているものは、言葉の奥にある何か
こんにちは。ゆうです。
仕事に集中しようと思う日に限って、
書きたい衝動に駆られるという、困った状況に陥っています(^^;;;
以前、言葉に関するお話をしたことがあります↓
今、ゴスペルサークルに入っていて、
日々、英語の発音に悩まされているのですが、
昨日、こんなお話を伺いました。
もちろん発音に気をつけたほうがいいんだけれど、
実はネイティブですら、何を言っているかわからないと
ダイレクター(指揮者)に指摘されることがある
たしかに、歌を聴くときって、
歌詞を聞き取ってないことも多いですよね。
英語の歌に関しては特にそう。
雰囲気というか、インスピレーションというか
まさに「感じ取っている」状況だと思います。
じゃあ、何で伝えるか というと
抑揚だったり、強弱だったりするわけです。
これもね、
はーい、じゃあここは強めに歌って
ここで弱くして
みたいな段取り通りに歌うのって
ほんと、つまんない。
歌詞の意味をくみ取り、咀嚼して、
自分の気持ちをのせて、心から歌う。
文章にしてもそうです。
テクニックではない何かが、そこにはあります。
だから、借りてきた言葉は意味をなさないんですね。
歌にせよ、文章にせよ、
言葉の奥にあるものをつかんで、発信する。
受け手は、言葉そのものを受け取るわけではなく、
奥にあるエネルギーを受け取るのです。
それでこそ「言霊」が活きてくる。
もし、私が英語に堪能だったら、
こういう気づきはなかったかもしれませんね(笑)
学生の頃から、一番苦手な教科は英語なんですけど(^^;
なーんかご縁があるようで、常にそういう環境を与えられてます。
ゴスペルも、英語で歌うという認識がすこーんと抜けてて
歌いたいという気持ちだけで入って、あわあわ。
なんですけども。苦手な発音も頑張ってます。
楽しいから、頑張れます♡
ずっと伝えたかった。
ずっと表現したかった。
そう、魂が喜んでいるのが、わかるんです。
これからも、いろいろな形で
「表現する」「伝える」ということに、
こだわっていきたいと思います。