ジャッジをしてはダメ、というジャッジ
こんばんは。ゆうです。
仕事終わりの夜な夜な投稿です。
なんだか最近、悟りの境地に入りつつあるような気がしますが、
今日のお題は、
卵が先か、鶏が先か
みたいな。ちょっと違う?(笑)
今日、このかたのブログを初めて読ませていただいて↓
あー、なるほどねえ、と思った次第。
以前は、まさに私、
「ねばならない」
「べき」
を意識して使わないようにしてたんです。
自分に禁じるくらいの勢いで。
周りの人にアドバイスこそしませんでしたが
「あー、この人、ねばならないって言ってる。
縛らないと楽なのにねえ」
って、内心思ってました。
余計なお世話ですね(笑)
最近では、
ジャッジをしない
ジャッジをする人、これが正解だと主張する人に
とっても違和感。
これも危ういところで、
ジャッジをしてはダメ
ってなると、それ、ジャッジしてるじゃん!
大いなる矛盾です。
で、だんだんわけがわかんなくなってきたんですけどね(笑)
結局のところ、
感じるだけでいいみたいです。
自分はこう思ってる。
相手はこう思ってる
(正確には、相手はこう思っている、と私が思っている・感じている)
以上。
そこであれこれ考え始めると、
ジャッジしてるんだかしてないんだか、わけがわかんなくなっちゃう。
ジャッジはダメってジャッジしてる自分は
ダメじゃん
って、これもジャッジ(@_@)
ジャッジしてもいいんです。
悪口言ったっていい。
何したっていい。
全部全部まるごと受け入れてOKを出しちゃう。
それが一番人間らしくて、いいんじゃないでしょうか。
常に美しく、なんてムリムリ。
ってところから始めたら、
案外、知らぬ間に美しい心になってたりして。
ゆるゆる生きたいですね♡